ご縁の軌跡
小僧がかわいくて仕方がありません。
普段私ばかりが旦那と小僧の写真をたくさん撮っていて、自分と小僧のツーショットがあまりないことに気づき、今日ダンナに結構撮ってもらいました。
ま、自宅仕様で髪の毛ボサってますけど。
うめ子とももタロウのお世話をするのが楽しくて仕方がありませんし、自分以外の何者かを慈しんでいると自分自身を慈しむ 気持ちが蘇ってきます。
※
忘れもしない 今年の6月のある日。
外食中に千葉のあや姉ちゃんから妊婦の野良猫を保護したという一報をいただきました。
その時の私の大喜びようたるや、周りの他のお客さんが 『え 親戚の(人間の赤ちゃんが)ご懐妊で大喜びしてるの?』 と聞いてくるほどだったそうです。
そんなに喜んでるのに自分が子猫をもらおうとは思っていなかったという不思議。
自我はうめ子がいるから無理無理と思っていても神我の方はうちの子猫が来た!と 大喜び したんでしょうね。
話を戻し。
正確には 保護したのは あや姉ちゃんではなく、あや姉ちゃんのお友達なんですが。
このお友達のご主人は猫が怖いので、あや 姉ちゃんチで預かり出産させるという運びになりました。
それが ももタロウの生母猫あみちゃん。
そもそもそのお友達が 家の近所に野良猫が増えてしまい 保護して避妊去勢手術をした後にリバースさせようと一念発起した動機というのは。
5月に あや姉ちゃんの庭に迷い込んだ 茶太郎保護の一件があったからです。
茶太郎保護の話を聞き、お友達は影響されて奮起したそうです。
茶太郎がいなかったらこうして ももタロウとも会えなかったわけで。
いいえ、茶太郎の前に保護犬ビビアンという存在がなければ、そのお友達とあや姉ちゃんの繋がりも無かったんですよね。
そのお友達は ビビアンの里親になってくれた人ですから。
ビビアンがいなければ 、ももタロウはもしかして生まれて来れなかったかもしれない。
保護されたばかりの生母猫あみちゃんは空腹が過ぎて栄養状態があまり良くなかったから。
関係や登場人物やその繋がりを ちょっと割愛して、もっと遡ると、私が レイキセラピストとして 緑翆をやっていなければ、 あやさんとも 出会えなかったわけですよね。
また 逆にあやさんもレイキなどの微細なエネルギーに興味を示さなければ 結局は会えなかったわけで。
何が言いたいのかと言うと、
バタフライエフェクトのほんのわずかな一部分を垣間見させてもらっているようです。
別の言い方をすると“ご縁の軌跡”ですね。
なんでこんな人と出会ってしまったんだろう…というものから、こんな素晴らしい人や存在と巡り会えたなんて、ということまで、全てはただ奇跡なのでしょう。
全ては邂逅なのだと改めて感じ入る次第です。
今年はとみに嬉しい邂逅 がたくさんありました。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय
普段私ばかりが旦那と小僧の写真をたくさん撮っていて、自分と小僧のツーショットがあまりないことに気づき、今日ダンナに結構撮ってもらいました。
ま、自宅仕様で髪の毛ボサってますけど。
うめ子とももタロウのお世話をするのが楽しくて仕方がありませんし、自分以外の何者かを慈しんでいると自分自身を慈しむ 気持ちが蘇ってきます。
※
忘れもしない 今年の6月のある日。
外食中に千葉のあや姉ちゃんから妊婦の野良猫を保護したという一報をいただきました。
その時の私の大喜びようたるや、周りの他のお客さんが 『え 親戚の(人間の赤ちゃんが)ご懐妊で大喜びしてるの?』 と聞いてくるほどだったそうです。
そんなに喜んでるのに自分が子猫をもらおうとは思っていなかったという不思議。
自我はうめ子がいるから無理無理と思っていても神我の方はうちの子猫が来た!と 大喜び したんでしょうね。
話を戻し。
正確には 保護したのは あや姉ちゃんではなく、あや姉ちゃんのお友達なんですが。
このお友達のご主人は猫が怖いので、あや 姉ちゃんチで預かり出産させるという運びになりました。
それが ももタロウの生母猫あみちゃん。
そもそもそのお友達が 家の近所に野良猫が増えてしまい 保護して避妊去勢手術をした後にリバースさせようと一念発起した動機というのは。
5月に あや姉ちゃんの庭に迷い込んだ 茶太郎保護の一件があったからです。
茶太郎保護の話を聞き、お友達は影響されて奮起したそうです。
茶太郎がいなかったらこうして ももタロウとも会えなかったわけで。
いいえ、茶太郎の前に保護犬ビビアンという存在がなければ、そのお友達とあや姉ちゃんの繋がりも無かったんですよね。
そのお友達は ビビアンの里親になってくれた人ですから。
ビビアンがいなければ 、ももタロウはもしかして生まれて来れなかったかもしれない。
保護されたばかりの生母猫あみちゃんは空腹が過ぎて栄養状態があまり良くなかったから。
関係や登場人物やその繋がりを ちょっと割愛して、もっと遡ると、私が レイキセラピストとして 緑翆をやっていなければ、 あやさんとも 出会えなかったわけですよね。
また 逆にあやさんもレイキなどの微細なエネルギーに興味を示さなければ 結局は会えなかったわけで。
何が言いたいのかと言うと、
バタフライエフェクトのほんのわずかな一部分を垣間見させてもらっているようです。
別の言い方をすると“ご縁の軌跡”ですね。
なんでこんな人と出会ってしまったんだろう…というものから、こんな素晴らしい人や存在と巡り会えたなんて、ということまで、全てはただ奇跡なのでしょう。
全ては邂逅なのだと改めて感じ入る次第です。
今年はとみに嬉しい邂逅 がたくさんありました。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय