4/9日新月一斉所感B
所感はよ書けや、 などという人がいないので 私も大変助かります。
昔はおりましたけどね(笑)
けども 無料 だからと言って舐めてかからないで欲しいというのが本音です。
ここでわざわざ声高に言うまでもなく無料というのが一番高価なものであり尊かったりもしますが、それは お互い様 win-win でさせていただいておりますし、また 私自身のカルマの解消でもございますので…まぁそれはさておき!
有料だろうが無料だろうがこうして 提唱した宿題をしっかりしてくれる人としてくれない人では当然 結果は違ってきます。
それは受け身のご参加者さんたちだけではなく 主催者の流し手の私にも言えることです。
もう結論から言ってしまうと苦手な人というのは自分自身の中の自己誤解でもあり、それを笑顔にさせることによって結果 現実がより良くなるということでもありました。
そして、日蝕。
インドなどでは不吉とされていますが、こと日本に限り 我々日本人にとってはおめでたいことでもございます。
天岩戸開きですから。
アマテラスは怯えて 引きこもりになり、 周りの人々に無理やり 戸を開けさせられたわけですが戸を開いてみたらみんな 穏やかに楽しそうに 宴会をしていましたよね。
そういった意味で見たくない ものというのを結構強力に施術により、実はそんなに怖いものでも嫌なものでもないんだよ という施術でもありました。
例えば 一緒に施術者として参加してくれた姉ですが、それの例もお伝えさせていただきたいと思います。
昔勤めていた会社で新しく入ってきた アルバイトの人に『あなたはとっても意地悪そう』と面と向かって言われてしまったそうです。
そんなことを先輩に言う方も言う方なのですが。(この人めちゃくちゃ優しいから何言っても大丈夫と見抜かれたわけですね。 暴言を吐いた 当事者はそんな自分の心理など分かっちゃいないでしょうけど)
端的に言うと 姉の場合は その相手の人の 思い通りに行動してしまっている。(というか姉は極めて心優しい人ですそれゆえ)あまりにも素直な性質故に無意識的に お前はこうだと言われると こういう風に言動しなければならないという癖に気づいたわけです。
この LINE の方は新しく入った職場で上の人にお前は できないやつだという決めつけをされて 本当はそんなことはないのに(というか極めて優秀な人です)そういう風に振る舞わなければならないだろう という 無意識を取り除かれたわけです。
それは深い意識の中に『自分はもしかして 意地悪なのではなかろうか』 『自分はもしかして できないやつなのではなかろうか』という恐れが現実共鳴しているということでもあります。
姉の場合は生来素直すぎるというもの。
LINE の方は 過去の人生において家族にお前はダメなやつできないやつという風に決めつけられた 故に。
例えば 伊藤 の例だと 『何かの責務を全うしなければ愛されないのではなかろうか』でした。
私の母という人は 条件付きでないと 愛してあげないよというような人でしたので それが染み付いていたわけです。(そのようなものは愛ではないのは皆さんご存知ですね。そもそも彼女には子供に対し愛などなかったのであるが)
そんなことはないのである、ということのために私は 風邪を引いてリスケをしたり という現象が起きたわけですね。
先月の新月の後に何か不調や、不具合や、アクシデント・トラブルが起こってしまったり、どうも思考がまとまらないな〜という人は そういった 頑固な ものを手放しているという証拠です。
ああ、これは好転反応であるのだな というのを一つ 認識してみてください。
続く
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय
昔はおりましたけどね(笑)
けども 無料 だからと言って舐めてかからないで欲しいというのが本音です。
ここでわざわざ声高に言うまでもなく無料というのが一番高価なものであり尊かったりもしますが、それは お互い様 win-win でさせていただいておりますし、また 私自身のカルマの解消でもございますので…まぁそれはさておき!
有料だろうが無料だろうがこうして 提唱した宿題をしっかりしてくれる人としてくれない人では当然 結果は違ってきます。
それは受け身のご参加者さんたちだけではなく 主催者の流し手の私にも言えることです。
もう結論から言ってしまうと苦手な人というのは自分自身の中の自己誤解でもあり、それを笑顔にさせることによって結果 現実がより良くなるということでもありました。
そして、日蝕。
インドなどでは不吉とされていますが、こと日本に限り 我々日本人にとってはおめでたいことでもございます。
天岩戸開きですから。
アマテラスは怯えて 引きこもりになり、 周りの人々に無理やり 戸を開けさせられたわけですが戸を開いてみたらみんな 穏やかに楽しそうに 宴会をしていましたよね。
そういった意味で見たくない ものというのを結構強力に施術により、実はそんなに怖いものでも嫌なものでもないんだよ という施術でもありました。
例えば 一緒に施術者として参加してくれた姉ですが、それの例もお伝えさせていただきたいと思います。
昔勤めていた会社で新しく入ってきた アルバイトの人に『あなたはとっても意地悪そう』と面と向かって言われてしまったそうです。
そんなことを先輩に言う方も言う方なのですが。(この人めちゃくちゃ優しいから何言っても大丈夫と見抜かれたわけですね。 暴言を吐いた 当事者はそんな自分の心理など分かっちゃいないでしょうけど)
端的に言うと 姉の場合は その相手の人の 思い通りに行動してしまっている。(というか姉は極めて心優しい人ですそれゆえ)あまりにも素直な性質故に無意識的に お前はこうだと言われると こういう風に言動しなければならないという癖に気づいたわけです。
この LINE の方は新しく入った職場で上の人にお前は できないやつだという決めつけをされて 本当はそんなことはないのに(というか極めて優秀な人です)そういう風に振る舞わなければならないだろう という 無意識を取り除かれたわけです。
それは深い意識の中に『自分はもしかして 意地悪なのではなかろうか』 『自分はもしかして できないやつなのではなかろうか』という恐れが現実共鳴しているということでもあります。
姉の場合は生来素直すぎるというもの。
LINE の方は 過去の人生において家族にお前はダメなやつできないやつという風に決めつけられた 故に。
例えば 伊藤 の例だと 『何かの責務を全うしなければ愛されないのではなかろうか』でした。
私の母という人は 条件付きでないと 愛してあげないよというような人でしたので それが染み付いていたわけです。(そのようなものは愛ではないのは皆さんご存知ですね。そもそも彼女には子供に対し愛などなかったのであるが)
そんなことはないのである、ということのために私は 風邪を引いてリスケをしたり という現象が起きたわけですね。
先月の新月の後に何か不調や、不具合や、アクシデント・トラブルが起こってしまったり、どうも思考がまとまらないな〜という人は そういった 頑固な ものを手放しているという証拠です。
ああ、これは好転反応であるのだな というのを一つ 認識してみてください。
続く
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय