祖母と父にありがとう
向かって左が祖母、右が父。
娘(私)に食べさせるために魚の小骨を一生懸命取る父。
何かの法事だと思いますが、父は仕事で忙しかったので、 めったに家にはいませんでしたが 一緒に食事をとるときは必ず魚の骨を取ってくれたものです。
実の父であろうとも 、当たり前ではなく『魚の骨を取ってくれてありがとう』と言いなさい。そうやって親しき仲にも礼儀ありという教えを躾てくれた祖母にも感謝。
『姉貴が魚好きのくせに骨を取るのが下手なのは親父のせいだよ。 お前は男だから自分で取れ、と親父に言われたよ、 だから俺は魚の骨を取るの上手いんだよ』 と弟が苦笑しておりました。
H&Cでもよくお伝えしていることですが、 昔の自分の写真を改めて見ると自分の記憶との相違が見て取れます。
思っていたよりも利発そうであっただとか、 思っていたよりも愛くるしかったのだとか、こうして思っていたよりも愛されていたのだということが客観的に俯瞰できるからです。
実際あるクライアントさんは自分は醜い姿の子供であった、愚鈍な子であったとおっしゃっていたのですが、その後、 改めて写真を見てみると たいそう賢そうで愛くるしかったので、とても嬉しかった。自分の過去も それほど自分で思っていたより悲惨ではなかったのかもしれないとおっしゃっておられました。
ある一つの悲惨な出来事を繰り返し思い出す内にひどくなってしまうという実例も多々あります。
つまり 自分で自分の記憶の悪改ざんをしてしまうということはとても多いということです。
※
父は徳島の網元の家の子でした。
わだつみの民でした。
海や それにまつわる魚介類をとても神聖視していたところがあります。
どうか皆さん。
小さなお子さんには極力、骨のある新鮮な魚を食べさせてあげてください。
食べるものが体を作ります。
精神と体は一体であります。
忙しいから長期保存の添加物が過剰に入っている冷食に頼ることもあるでしょう。 それでもいいとは思いますが、 極力。
日本の漁師さんが誇りと命をかけて捕った お魚や誠実に養殖しているお魚を食べさせてあげてみてください。
DS下っ端アフィリエイターたちは日本の畜産・農産・漁業を破壊しています。
かわいそうに本人たちは自分が自分のふるさと日本を破壊している一端になっているということに気づいていないというのがとても哀れではありますが。
自分の目の前にある食物が、いったいどのように生まれ育ち、どのような人たちの手を渡って、今 自分の目の前にあるかよく考えながら食べなさい、そう お釈迦様も申しております。
娘(私)に食べさせるために魚の小骨を一生懸命取る父。
何かの法事だと思いますが、父は仕事で忙しかったので、 めったに家にはいませんでしたが 一緒に食事をとるときは必ず魚の骨を取ってくれたものです。
実の父であろうとも 、当たり前ではなく『魚の骨を取ってくれてありがとう』と言いなさい。そうやって親しき仲にも礼儀ありという教えを躾てくれた祖母にも感謝。
『姉貴が魚好きのくせに骨を取るのが下手なのは親父のせいだよ。 お前は男だから自分で取れ、と親父に言われたよ、 だから俺は魚の骨を取るの上手いんだよ』 と弟が苦笑しておりました。
H&Cでもよくお伝えしていることですが、 昔の自分の写真を改めて見ると自分の記憶との相違が見て取れます。
思っていたよりも利発そうであっただとか、 思っていたよりも愛くるしかったのだとか、こうして思っていたよりも愛されていたのだということが客観的に俯瞰できるからです。
実際あるクライアントさんは自分は醜い姿の子供であった、愚鈍な子であったとおっしゃっていたのですが、その後、 改めて写真を見てみると たいそう賢そうで愛くるしかったので、とても嬉しかった。自分の過去も それほど自分で思っていたより悲惨ではなかったのかもしれないとおっしゃっておられました。
ある一つの悲惨な出来事を繰り返し思い出す内にひどくなってしまうという実例も多々あります。
つまり 自分で自分の記憶の悪改ざんをしてしまうということはとても多いということです。
※
父は徳島の網元の家の子でした。
わだつみの民でした。
海や それにまつわる魚介類をとても神聖視していたところがあります。
どうか皆さん。
小さなお子さんには極力、骨のある新鮮な魚を食べさせてあげてください。
食べるものが体を作ります。
精神と体は一体であります。
忙しいから長期保存の添加物が過剰に入っている冷食に頼ることもあるでしょう。 それでもいいとは思いますが、 極力。
日本の漁師さんが誇りと命をかけて捕った お魚や誠実に養殖しているお魚を食べさせてあげてみてください。
DS下っ端アフィリエイターたちは日本の畜産・農産・漁業を破壊しています。
かわいそうに本人たちは自分が自分のふるさと日本を破壊している一端になっているということに気づいていないというのがとても哀れではありますが。
自分の目の前にある食物が、いったいどのように生まれ育ち、どのような人たちの手を渡って、今 自分の目の前にあるかよく考えながら食べなさい、そう お釈迦様も申しております。
