顕在意識と潜在(無)意識の乖離・齟齬
1個前の記事で人間嫌いの人間好きの人の話をした流れで こちらもちょっとお伝えしておきますね☺️
上図チャートが顕在意識だとすると、下図チャートが潜在意識・無意識のチャートになります。
超簡単に 例題の人物の基本的な性質や人生観をアウトラインのみでお伝えします。
(あくまでもアウトラインのみです)
顕在的にはこの人は対外的に名君な王様のように振る舞いたいし周りからもそう思われ認識されたい人です。 顕在意識も自分の一部ではあるので それがある側面では真実であり、そういう風に言動するので周りからもそう思われやすいということもあります。
対して 下の図は 王とはかけ離れていて、もっと朴訥として素朴でおおらかな片田舎のいち村人であるオイチャンオバチャンというような性質であるということが 見て取れるんですね。 家庭内での王としての君臨はありえますが 対外的には耐えられない。
社会的に王(リーダー)のように認められたいという 顕在意識と 家庭内での家長(リーダー)としてのみ認められたいというこの解離・齟齬。
顕在的には パブリックに意識が向いているんですが、 潜在的にはプライベートに意識が向いている。
この解離が強ければ強いほど 自己矛盾を生み出し、苦しい気持ちや、また なぜこんなことが起きるんだろう?というような不本意な事象が現れたりします。
またその自己矛盾故に 内的なストレスも強くなったりもします。
これは何 も この例題の人物だけではなく 人間には よくあることで。
レイキやコーチングなどで 無意識に働きかけたりしますが 漠然と無意識と言われたって 大海原の中に自分がポツンといるような感じで まさに 海の水を掬うような感覚ですよね。
そして我々の顕在意識は無意識を全て把握することは不可能であります。それは全宇宙を把握するのと同等の意味合いがあるから。
ですが このジョーティシュのバースチャートですと 、ぐうの音でも出ないほど それが チャートとして厳然と現れてきます。
これは便利であるようでいて自己直視しない したくない 自分自身を提示されているようで 浄化 や 自己認識が進んでいない人々にとっては辛いものであったりもします。
思うに レイキなどで ある程度 自己認識が進んでいる人は 私を含め このチャート を見ても割とすんなり 納得できたりするんですよね。
いっとくけどこれは統計学じゃないですからね。
さておき 。
このように ちょろっとアウトラインだけでも、バースチャートで 解説されると、なるほどね 〜これだけ自己矛盾というのはものすごくあるんだね〜というのがお分かりいただけたでしょうか。
ほんの表面的基本的なものでも これだけの解離があったりするわけです。誰しも。
ちなみに このチャートの人物の恋人や伴侶の好みというのは 顕在的には華やかで優しくて美形の人を求めてしまうと出ていますが、無意識的にはものすごく クセのある いかつめの人を嫌でも求めてしまうという矛盾もあります。
矛盾があるから恋愛性愛がうまくいかないというのもありますね。
上図チャートと下図チャートが一致している人ほど自己矛盾が少なくて自己現実が比較的スムーズであります。
が。
あくまでも比較的であり、その他の要因が蜘蛛の巣のように絡み合うので、そんな単純明快なものではありませんが。
ともかく さらっとでも自分の人生の(意識の)アウトラインの齟齬を認識しているのといないのとでは大違いでありますよ、 という話でもあります。
手元にご自身のバースチャートをお持ちの方は D 1 チャートの ラグナ と D9チャートのラグナのところをチェックしてみてください。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय
上図チャートが顕在意識だとすると、下図チャートが潜在意識・無意識のチャートになります。
超簡単に 例題の人物の基本的な性質や人生観をアウトラインのみでお伝えします。
(あくまでもアウトラインのみです)
顕在的にはこの人は対外的に名君な王様のように振る舞いたいし周りからもそう思われ認識されたい人です。 顕在意識も自分の一部ではあるので それがある側面では真実であり、そういう風に言動するので周りからもそう思われやすいということもあります。
対して 下の図は 王とはかけ離れていて、もっと朴訥として素朴でおおらかな片田舎のいち村人であるオイチャンオバチャンというような性質であるということが 見て取れるんですね。 家庭内での王としての君臨はありえますが 対外的には耐えられない。
社会的に王(リーダー)のように認められたいという 顕在意識と 家庭内での家長(リーダー)としてのみ認められたいというこの解離・齟齬。
顕在的には パブリックに意識が向いているんですが、 潜在的にはプライベートに意識が向いている。
この解離が強ければ強いほど 自己矛盾を生み出し、苦しい気持ちや、また なぜこんなことが起きるんだろう?というような不本意な事象が現れたりします。
またその自己矛盾故に 内的なストレスも強くなったりもします。
これは何 も この例題の人物だけではなく 人間には よくあることで。
レイキやコーチングなどで 無意識に働きかけたりしますが 漠然と無意識と言われたって 大海原の中に自分がポツンといるような感じで まさに 海の水を掬うような感覚ですよね。
そして我々の顕在意識は無意識を全て把握することは不可能であります。それは全宇宙を把握するのと同等の意味合いがあるから。
ですが このジョーティシュのバースチャートですと 、ぐうの音でも出ないほど それが チャートとして厳然と現れてきます。
これは便利であるようでいて自己直視しない したくない 自分自身を提示されているようで 浄化 や 自己認識が進んでいない人々にとっては辛いものであったりもします。
思うに レイキなどで ある程度 自己認識が進んでいる人は 私を含め このチャート を見ても割とすんなり 納得できたりするんですよね。
いっとくけどこれは統計学じゃないですからね。
さておき 。
このように ちょろっとアウトラインだけでも、バースチャートで 解説されると、なるほどね 〜これだけ自己矛盾というのはものすごくあるんだね〜というのがお分かりいただけたでしょうか。
ほんの表面的基本的なものでも これだけの解離があったりするわけです。誰しも。
ちなみに このチャートの人物の恋人や伴侶の好みというのは 顕在的には華やかで優しくて美形の人を求めてしまうと出ていますが、無意識的にはものすごく クセのある いかつめの人を嫌でも求めてしまうという矛盾もあります。
矛盾があるから恋愛性愛がうまくいかないというのもありますね。
上図チャートと下図チャートが一致している人ほど自己矛盾が少なくて自己現実が比較的スムーズであります。
が。
あくまでも比較的であり、その他の要因が蜘蛛の巣のように絡み合うので、そんな単純明快なものではありませんが。
ともかく さらっとでも自分の人生の(意識の)アウトラインの齟齬を認識しているのといないのとでは大違いでありますよ、 という話でもあります。
手元にご自身のバースチャートをお持ちの方は D 1 チャートの ラグナ と D9チャートのラグナのところをチェックしてみてください。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय