晩夏の休暇Oお寺で太極拳とお灸の教室
9月3日 新月一斉の当日のお話です。
レイキは問題の根幹に直で流れますが、太極拳は氣を自ら捏ねてどんどん大きくさせて自らの心身に還してゆくようでした。
氣が自分の手のひらからブワーンと、どんどん大きくなる感覚がまたとてつもなく氣持ちが良いのです。
それと同時に氣血が心身に巡り巡るのがよく判ります。
素晴らしいです。
レイキは目的地まで速攻で走る氣の高速道路のようであり、また太極拳は人体という風景の中をゆっくり周り通る氣の遊覧道路のよう。
最後はヨガで言うところのシャバーサナのように寝そべるのですが、極上でした。
だって何にしろ日蓮さんの懐の中ですし。
まさに極上。
寝転んで瞑想もしたのですが、その時に面白いことがありまして。
私の右手薬指を何か小さな“もの”がカプッと齧ったのです。
痛いというより こそばゆい感じで 甘噛みのような感覚。
小さな小さな歯の感覚がありました。
何だろう?と思い、そちらに意識を持っていき視覚化させたのですが、 するとどうやら小さなネズミの意識体でした。
もちろんお寺は清潔にしているので実態があるネズミではなく、 ただの意識体。
お寺の裏は小さな山になっているので、 そこに生息する野鼠の意識体だと思われます。
何か楽しそうに また心地良さそうにしている人々の波動に吸い寄せられて本堂まで意識が飛んできたのかな。
人間に虐げられて恨みに任せて指をかじったとかではなく、 楽しそうにしているので ちょっかいを出したというような、とても可愛らしい意識体でした。
ちょっと子猫がじゃれついているような、 我が家のうめももみたいな感覚でね。
それもまた私をとてもあたたかく穏やかな氣持ちにさせるのに拍車をかけてくれました。
一瞬、涅槃とはこういったものかと錯覚したような、 ほんの半瞬垣間見たような素晴らしい経験でした。
人間たちから可愛い野鼠ちゃん(の意識体)まで遊びに来る日蓮さんの本堂…
日蓮さんからしたら私たち人間も野鼠も同等の大事な命であり、そこに差など無く、皆仏となりうる可能性を秘めた小さな命だということ。
日蓮さんの懐で “一切衆生悉有仏性” を体感できた とてもとてもありがたい講座でございました。
そんな貴重な場を設けてくださった
切通先生、栗本先生に感謝であります。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय
レイキは問題の根幹に直で流れますが、太極拳は氣を自ら捏ねてどんどん大きくさせて自らの心身に還してゆくようでした。
氣が自分の手のひらからブワーンと、どんどん大きくなる感覚がまたとてつもなく氣持ちが良いのです。
それと同時に氣血が心身に巡り巡るのがよく判ります。
素晴らしいです。
レイキは目的地まで速攻で走る氣の高速道路のようであり、また太極拳は人体という風景の中をゆっくり周り通る氣の遊覧道路のよう。
最後はヨガで言うところのシャバーサナのように寝そべるのですが、極上でした。
だって何にしろ日蓮さんの懐の中ですし。
まさに極上。
寝転んで瞑想もしたのですが、その時に面白いことがありまして。
私の右手薬指を何か小さな“もの”がカプッと齧ったのです。
痛いというより こそばゆい感じで 甘噛みのような感覚。
小さな小さな歯の感覚がありました。
何だろう?と思い、そちらに意識を持っていき視覚化させたのですが、 するとどうやら小さなネズミの意識体でした。
もちろんお寺は清潔にしているので実態があるネズミではなく、 ただの意識体。
お寺の裏は小さな山になっているので、 そこに生息する野鼠の意識体だと思われます。
何か楽しそうに また心地良さそうにしている人々の波動に吸い寄せられて本堂まで意識が飛んできたのかな。
人間に虐げられて恨みに任せて指をかじったとかではなく、 楽しそうにしているので ちょっかいを出したというような、とても可愛らしい意識体でした。
ちょっと子猫がじゃれついているような、 我が家のうめももみたいな感覚でね。
それもまた私をとてもあたたかく穏やかな氣持ちにさせるのに拍車をかけてくれました。
一瞬、涅槃とはこういったものかと錯覚したような、 ほんの半瞬垣間見たような素晴らしい経験でした。
人間たちから可愛い野鼠ちゃん(の意識体)まで遊びに来る日蓮さんの本堂…
日蓮さんからしたら私たち人間も野鼠も同等の大事な命であり、そこに差など無く、皆仏となりうる可能性を秘めた小さな命だということ。
日蓮さんの懐で “一切衆生悉有仏性” を体感できた とてもとてもありがたい講座でございました。
そんな貴重な場を設けてくださった
切通先生、栗本先生に感謝であります。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय