『原因と結果』によって私たちは産まれてくる。
私たちは、その原因と結果から発生した新たな始まりによって育てられる。
そして、私たちはやはり同じように心配事や疑問を抱えた親によって育てられる。
親も私たちと同じように自分自身の人生に精一杯であるから、時には子供を無視してしまったりサポートしきれないことがある。
私たちは、ときに親に無視されたりサポートされていないと感じると疑問が湧いてくる、無意識のうちに。
そして、私たちは人生の後半になって、それらの疑問について私たち自身で答えを出すことになるということに気づく。
自分の心の外側からは何も教えてもらえない。
外側からなんらかの答えを得ようとしても、それらは単なる手がかりに過ぎない。
それでも生きて行くという不安定な状況の中で、私たちは自分自身という牢獄を作り出し、長い間その狭い空間に留まってしまう。
しかし、幸いなことに、私たちにはそこから抜け出す鍵があり、眠っている、あるいは輝く機会がなかった私たちの芽生えた部分つまり美しいカルマを勇気づけ発揮できることができるのである。
私たちは今現在、生きて行く中で「心地よく不快」な状態にあるかもしれない。
人生のどの時点でも、自分が知っている以上の存在になることを選択すること、古いものを手放し浄化することができる。
古いものを手放し浄化するというのは、『 原因と結果』を同時に浄化することになる。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय