風強し
今日は風が強く吹いている自由が丘でした。
対面ジョーティシュ鑑定でした。 神奈川の遠いところからいらしてくださったクライアントさん。 帰りはロマンスカーに乗るのを楽しみにしているそう。
4室関連が健全だからだいたい乗り物には恵まれますな🚃
気をつけて帰ってね。
対面ジョーティシュ鑑定でした。 神奈川の遠いところからいらしてくださったクライアントさん。 帰りはロマンスカーに乗るのを楽しみにしているそう。
4室関連が健全だからだいたい乗り物には恵まれますな🚃
気をつけて帰ってね。
『もうこの家系の癖はお互いやめようね』セルフワークその後
ちなみに これも 2024年8月の記事の続きですが、 ご参考までに。
※
ワークお疲れ様でした🙇
そうですね 、今日はそれだけで十分でしょう(^-^) また明日 同じようにやってみるといいと思います。
このワークをした後は、なんとなく体が重だるくなったり 、人によっては微熱が出たりする人もいるので、皆さんご自分の体調も合わせて様子をみてください。
すっきりしたなと思うのは浄化サインの一つです☺️
この方のように あれ?あれだけ泣いたのにすっきりしているな、という方もいれば 追怒り 追悲しみのようなものが湧いてきて しまう方もおられます。
その場合、もちろん誰かに当たり散らすのでもなく、また それをもう一度押し込めてしまうのではなく。
それを見つめるような感覚でいてください。
そうか、悔しいんだな 悲しいんだな 等。
また、イメージワークの中で小さかった頃の 自分と小さかった頃の親御さんを対峙させましたが、 その2人は どんな表情をしていたか どんな雰囲気だったのかも 後でゆっくり 思い返してみてください。
セルフイメージワークの前と後で
『もうこの家系の癖はお互いやめようね』
この言葉をもう一度口に出して言ってみた時のご自分の 体感の違いもチェックしてみてください。
そしてこのセルフワークを何回かした後 、実際の親御さんの言動に何か変化があるかもしっかりチェックね。
皆さんしっかりワークをしてくださっておられるようで私も嬉し安心しました😉
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय
※
ワークお疲れ様でした🙇
そうですね 、今日はそれだけで十分でしょう(^-^) また明日 同じようにやってみるといいと思います。
このワークをした後は、なんとなく体が重だるくなったり 、人によっては微熱が出たりする人もいるので、皆さんご自分の体調も合わせて様子をみてください。
すっきりしたなと思うのは浄化サインの一つです☺️
この方のように あれ?あれだけ泣いたのにすっきりしているな、という方もいれば 追怒り 追悲しみのようなものが湧いてきて しまう方もおられます。
その場合、もちろん誰かに当たり散らすのでもなく、また それをもう一度押し込めてしまうのではなく。
それを見つめるような感覚でいてください。
そうか、悔しいんだな 悲しいんだな 等。
また、イメージワークの中で小さかった頃の 自分と小さかった頃の親御さんを対峙させましたが、 その2人は どんな表情をしていたか どんな雰囲気だったのかも 後でゆっくり 思い返してみてください。
セルフイメージワークの前と後で
『もうこの家系の癖はお互いやめようね』
この言葉をもう一度口に出して言ってみた時のご自分の 体感の違いもチェックしてみてください。
そしてこのセルフワークを何回かした後 、実際の親御さんの言動に何か変化があるかもしっかりチェックね。
皆さんしっかりワークをしてくださっておられるようで私も嬉し安心しました😉
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय
もうこの家系の癖はお互いやめようね
以下は 去年の8月12日にブログにUPしたものになります。
1つ前の記事の帰属意識についての補考になればと再UPしました。
健全な帰属意識が無いと、このようなことも起こり得るという事例でもあります。
そしてそれは意外と根深いものである場合もある、 というケーススタディ。
※
昔々 あるクライアントさんが 話をしているなかで「何で私 “こんな人”のところに セッションに来ちゃったんだろう。」 と、やや見下し気味に言いました。
こんな人というのは私 伊藤のことであります。
まぁ、無礼なんですけども(笑)
そう言う割には当時よく当方へセッションにいらっしゃる。
内心でどう思うのかは自由ですが、それは言わない方が いいことです。
突っ込もうかなと思いましたが セッションですので黙っておりました。
それに このものの言いようが、この人の 根底にある大問題であるのだな、 というのは私でなくてもセラピストならすぐにわかることです。
それが災いしてその人はいつも周りと大小トラブルを起こしておりました。 それが高じて最終的には 裁判 という形にも発展してしまった。 そして決まって自分には非はない 相手が悪いとも おっしゃっておりましたね。
そしていつも挑発的な人でもありました。
もうそのクライアントさんとは縁はないのですが、 最後の最後で自分には友人と呼べる友人がいないと 言っておりましたね。
さて。
その人の実家は 山間の小さな 村にあるのですが、 その人が幼少期にその村へ家族で引っ越してきてからというもの 、その村で 村八分にあっていたことがトラウマとなっておりました。
なぜ村八分にあったのか?
何度かめの霊視をしている中で、その答えが現れたのです。
その人のお父さんが原因でした。
ようこそと迎え入れてくれた村人たちに向かって「“こんなところ”に引っ越してきてしまって…」と言ってしまったんですね。
それは角が立つ どころの話ではないのはもう 皆さんもお分かりですよね?
言われた方は“こんなところで悪かったな!”じゃあお前は仲間に入らなくてよろしい!”
となってしまいます。
冒頭でもその人の 言いようにも 比較的おおらかな伊藤さんでもカチンとはしましたし(笑)
親子で全く同じことを言ってしまっている。
相手がおおらかな人(伊藤)だったらそれだけで済みますが、
それが住むところというコミュニティ・大勢となると話はもっと複雑で重大で重篤になります。
結局 、いつもいつも仲間外れにあうのは自分自身にも問題があったということを この親子は 分かっていない。
仲間に入りたいのに 上から目線なんですね。
いや 上からどころの話ではなく、相手を見下して粗末なものとしてしまうのです。
この人の場合はそれが800年以上続く家系の負の癖となっておりました。
…仕事の方向性や結婚などのカルマ、性格の欠点他。
性格上の問題点。
親子だから何らかを受け継ぐのは当然と言えば当然ですが、似てほしいところと似てほしくないところ、親の世代でカルマを解消していれば、次の世代がひどいことにはならないように思うので、今を生きている各々が不要な負のカルマは積まないようにしたいですね。
誰しも親を見て、あまり好かない部分は残念ながら自分も持ち合わせているものです。
表層的にはそうでないようでいても、どこかに持ち合わせていて、掘り下げていくと、親を見て「拒絶反応しているそれ」「このひとのこうゆうところなに?」などは「自分自身の拒絶したい部分」ということですね。
安心してください。
これはあまねく すべての人間にあることで あなただけがあるということではありません。
〜ここからはイメージワークになります〜
自分が 子供の頃の姿を思い浮かべてみる。
そして親の 子供の頃、 小さかった頃も思い浮かべてみてください。
そうですね、 お互い 4〜5歳の頃。
お互いが1m ぐらい離れたところで向き合っているというのをイメージ。
そして相手を観察しながらできるのなら握手や 抱きしめる 、もしくはそれが嫌ならただただ相手の瞳をじっと見つめるということをやってみてください。
うまくできなくても大丈夫です。
イメージしようとするとできなくなったり 拒絶反応が起きたりもするかもしれません。
ただ一言 口に出して言ってみてください。
もうこの家系の癖はお互いやめようね
ふーん そうなんだねと 他人ごとのように読んでいたとしても、
特に 各ディグリー伝授を受けている人は これやってくださいね。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय
1つ前の記事の帰属意識についての補考になればと再UPしました。
健全な帰属意識が無いと、このようなことも起こり得るという事例でもあります。
そしてそれは意外と根深いものである場合もある、 というケーススタディ。
※
昔々 あるクライアントさんが 話をしているなかで「何で私 “こんな人”のところに セッションに来ちゃったんだろう。」 と、やや見下し気味に言いました。
こんな人というのは私 伊藤のことであります。
まぁ、無礼なんですけども(笑)
そう言う割には当時よく当方へセッションにいらっしゃる。
内心でどう思うのかは自由ですが、それは言わない方が いいことです。
突っ込もうかなと思いましたが セッションですので黙っておりました。
それに このものの言いようが、この人の 根底にある大問題であるのだな、 というのは私でなくてもセラピストならすぐにわかることです。
それが災いしてその人はいつも周りと大小トラブルを起こしておりました。 それが高じて最終的には 裁判 という形にも発展してしまった。 そして決まって自分には非はない 相手が悪いとも おっしゃっておりましたね。
そしていつも挑発的な人でもありました。
もうそのクライアントさんとは縁はないのですが、 最後の最後で自分には友人と呼べる友人がいないと 言っておりましたね。
さて。
その人の実家は 山間の小さな 村にあるのですが、 その人が幼少期にその村へ家族で引っ越してきてからというもの 、その村で 村八分にあっていたことがトラウマとなっておりました。
なぜ村八分にあったのか?
何度かめの霊視をしている中で、その答えが現れたのです。
その人のお父さんが原因でした。
ようこそと迎え入れてくれた村人たちに向かって「“こんなところ”に引っ越してきてしまって…」と言ってしまったんですね。
それは角が立つ どころの話ではないのはもう 皆さんもお分かりですよね?
言われた方は“こんなところで悪かったな!”じゃあお前は仲間に入らなくてよろしい!”
となってしまいます。
冒頭でもその人の 言いようにも 比較的おおらかな伊藤さんでもカチンとはしましたし(笑)
親子で全く同じことを言ってしまっている。
相手がおおらかな人(伊藤)だったらそれだけで済みますが、
それが住むところというコミュニティ・大勢となると話はもっと複雑で重大で重篤になります。
結局 、いつもいつも仲間外れにあうのは自分自身にも問題があったということを この親子は 分かっていない。
仲間に入りたいのに 上から目線なんですね。
いや 上からどころの話ではなく、相手を見下して粗末なものとしてしまうのです。
この人の場合はそれが800年以上続く家系の負の癖となっておりました。
…仕事の方向性や結婚などのカルマ、性格の欠点他。
性格上の問題点。
親子だから何らかを受け継ぐのは当然と言えば当然ですが、似てほしいところと似てほしくないところ、親の世代でカルマを解消していれば、次の世代がひどいことにはならないように思うので、今を生きている各々が不要な負のカルマは積まないようにしたいですね。
誰しも親を見て、あまり好かない部分は残念ながら自分も持ち合わせているものです。
表層的にはそうでないようでいても、どこかに持ち合わせていて、掘り下げていくと、親を見て「拒絶反応しているそれ」「このひとのこうゆうところなに?」などは「自分自身の拒絶したい部分」ということですね。
安心してください。
これはあまねく すべての人間にあることで あなただけがあるということではありません。
〜ここからはイメージワークになります〜
自分が 子供の頃の姿を思い浮かべてみる。
そして親の 子供の頃、 小さかった頃も思い浮かべてみてください。
そうですね、 お互い 4〜5歳の頃。
お互いが1m ぐらい離れたところで向き合っているというのをイメージ。
そして相手を観察しながらできるのなら握手や 抱きしめる 、もしくはそれが嫌ならただただ相手の瞳をじっと見つめるということをやってみてください。
うまくできなくても大丈夫です。
イメージしようとするとできなくなったり 拒絶反応が起きたりもするかもしれません。
ただ一言 口に出して言ってみてください。
もうこの家系の癖はお互いやめようね
ふーん そうなんだねと 他人ごとのように読んでいたとしても、
特に 各ディグリー伝授を受けている人は これやってくださいね。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय
帰属意識
芍薬?でいいのかな?大輪でした。
近所の公園にて。これは自治会の方々が咲かせているのではなく、それとは別にまた「お花を咲かせましょうの会」というのがあり、 その方々が四季折々咲かせているそうだというのを公園内の掲示板で知りました。
地域のコミュニティですね。
その会の人たちは花が好きなのはもちろんだろうけど、やっぱりここが好きだからこそだろうし、自分たちの場をより良くしたい綺麗にしたい他の人々にも喜んでもらいたいという帰属意識もあるのでしょう。
帰属意識って実は大切。
そういう会に入っておらずとも また 地方から出てきて生まれ故郷の地元じゃないとしても、 自分はこの地域の住人だという認識 自体が自分を守ってくれる それは 土地神様との目には見えない聖なる契約であったりもします。
簡単に言うと 今住んでいるところを愛しているか愛していないかにより諸事うまくいく行かないが左右されたりもします。
地元愛みたいなものがキモというか基本。
うまくいくかどうかはもちろんそれ以外にも要因がたくさん あり、これだけではありませんが。
意識的ないし無意識的に 「お前らなんかの仲間に入るもんか」「私はお前らなんかとは違うんだ」 というひねくれた想いがほんの僅かにでもあると、 それは共有無意識を通して皆に伝波連破してしまうからです。
これを自分で腹の底から 気づけるか気づけないか はだがしかし とても大きい。
では
本日もよきひとなさいませ。
近所の公園にて。これは自治会の方々が咲かせているのではなく、それとは別にまた「お花を咲かせましょうの会」というのがあり、 その方々が四季折々咲かせているそうだというのを公園内の掲示板で知りました。
地域のコミュニティですね。
その会の人たちは花が好きなのはもちろんだろうけど、やっぱりここが好きだからこそだろうし、自分たちの場をより良くしたい綺麗にしたい他の人々にも喜んでもらいたいという帰属意識もあるのでしょう。
帰属意識って実は大切。
そういう会に入っておらずとも また 地方から出てきて生まれ故郷の地元じゃないとしても、 自分はこの地域の住人だという認識 自体が自分を守ってくれる それは 土地神様との目には見えない聖なる契約であったりもします。
簡単に言うと 今住んでいるところを愛しているか愛していないかにより諸事うまくいく行かないが左右されたりもします。
地元愛みたいなものがキモというか基本。
うまくいくかどうかはもちろんそれ以外にも要因がたくさん あり、これだけではありませんが。
意識的ないし無意識的に 「お前らなんかの仲間に入るもんか」「私はお前らなんかとは違うんだ」 というひねくれた想いがほんの僅かにでもあると、 それは共有無意識を通して皆に伝波連破してしまうからです。
これを自分で腹の底から 気づけるか気づけないか はだがしかし とても大きい。
では
本日もよきひとなさいませ。
今日は寄り道をしないで まっすぐお家に帰ってね
21日の20時半頃に土星(Sa)とラーフ(Ra)の度数が丁度ぴったり重なります。
あんまりいい組み合わせではないです。
まぁ、なにもないでしょうけども、一応ね、 お仕事なり学校帰りなり所要なりで外出の方々は今日は極力寄り道をしないで まっすぐお家に帰ってください。
今週は派手に出歩かずに ほっこり お家で過ごしましょう。土用の期間でもありますし。
衝撃は物理現象ではなくて世界情勢のニュースとかかもしれないし。
なにもないだろうけど一応ネ。
あんまりいい組み合わせではないです。
まぁ、なにもないでしょうけども、一応ね、 お仕事なり学校帰りなり所要なりで外出の方々は今日は極力寄り道をしないで まっすぐお家に帰ってください。
今週は派手に出歩かずに ほっこり お家で過ごしましょう。土用の期間でもありますし。
衝撃は物理現象ではなくて世界情勢のニュースとかかもしれないし。
なにもないだろうけど一応ネ。
朝餉昼餉
紅生姜さつま揚げ以外はけいぼんが作りました。 (これぐらい作って当たり前とか言わないで〜本人にとっては大進歩だから)
ふろふき大根
茄子の醤油焼き
ほうれん草のおひたし
きゅうりのうめおかか
豆腐と油揚げのお味噌汁
4月は外食三昧スイーツ三昧でしたので、 ここらでなんちゃって精進料理的なものを。
あ、そうだ。 ここらで 4年前にあまりの仕事の忙しさ、それにまつわる暴食で入院レベルの胃潰瘍を1週間で自宅でレイキと共に治した話をシェアしようかしら…(´ε ` )
初耳の方々も多いでしょ〜フフフ
ふろふき大根
茄子の醤油焼き
ほうれん草のおひたし
きゅうりのうめおかか
豆腐と油揚げのお味噌汁
4月は外食三昧スイーツ三昧でしたので、 ここらでなんちゃって精進料理的なものを。
あ、そうだ。 ここらで 4年前にあまりの仕事の忙しさ、それにまつわる暴食で入院レベルの胃潰瘍を1週間で自宅でレイキと共に治した話をシェアしようかしら…(´ε ` )
初耳の方々も多いでしょ〜フフフ
どんどん甘いもの食いなはれと言われている
土地神のイザナミさんはじめ自由が丘の女神さんがたに「肥えなはれ」言われてる気がする……………
でもワタスがスイーツで肥えれば肥えるほど能登半島復興資金になるならべつにいいか(いいのかよ)
でもワタスがスイーツで肥えれば肥えるほど能登半島復興資金になるならべつにいいか(いいのかよ)
0円から始める起業
昨日は H & C セッションでありましたが、 少しだけ個人事業についてもお伝えすることができたのでまず良かったです。
まずもって緑翆が資本金0円から始めましたからね。
その経験が10年後に誰かの役に立つとはその当時は 思ってもみませんでした。
もちろん心理学やレイキはじめヒーリングタクティクスなどの勉強代は別ですけれども。 その心理学やレイキだって起業をしたいから学んだのではなく自分を立て直すためであったわけなんですが。
H & C は ヒーリング&コーチングの略称。
コーチング含みですから中には起業についての ご相談やお話もある人はあります。さらにそこにジョーティシュのバース チャートで何ができて何ができないのかが判明するので これまた なるようになっているのだな〜と思います。
まずもって緑翆が資本金0円から始めましたからね。
その経験が10年後に誰かの役に立つとはその当時は 思ってもみませんでした。
もちろん心理学やレイキはじめヒーリングタクティクスなどの勉強代は別ですけれども。 その心理学やレイキだって起業をしたいから学んだのではなく自分を立て直すためであったわけなんですが。
H & C は ヒーリング&コーチングの略称。
コーチング含みですから中には起業についての ご相談やお話もある人はあります。さらにそこにジョーティシュのバース チャートで何ができて何ができないのかが判明するので これまた なるようになっているのだな〜と思います。
「やまい=わたし、わたし=やまい」にしない
昨日はありがとうございました‼︎
今の状況がある理由、今やるべき課題、今後について等色々と教えて頂きすっきりしました。そして、リウマチの痛みに対して、私自身が作り上げている、「幻」だった事が衝撃でした‼︎振り返ってみると、「リウマチなのに私はこんなに頑張っている」「リウマチの痛みに耐えてる私」のように思っていたな…と。そして、最後の浄化という事、きちんと受け止め、さよならしたいです👋
昨晩は、痛みで起きる事なく朝まで眠れましたし、仕事での移動では「私はリウマチではない」「この痛みは私のものではない」「どっかいけ〜‼︎」🚴♀️(汗)と唱えていました笑こんな軽快に自転車移動している自分の姿、どう見ても健康体ですよね笑今日は痛みは少なく、沢山歩けています🚶♀️これから電車移動です🚃✨
痛みと自分を切り離すワーク🦠とプロテクションをかけるワーク🫧を習慣にします💪
先生、ありがとうございました‼️
この方に限らずなのですが、慢性的な痛みを持っている人によくありがちな「意識の状態」についてさらっとお伝えしたいと思います。
「この痛みは自分であり自分とはこの痛みである」と痛みと自分を 同一視してしまっているという 状態です。
昨日は自分と痛みは別物であり それを切り離す というワーク内容をお伝えして、それを実際施術させてもらいました。 そしてそれが何も ヒーラーではなく 自分自身でできるワークであります。
権威から これは一生治らないんだよ 一生付き合っていくものなのだよと 繰り返し繰り返し言われることは、ある種の洗脳であり、性質が素直であればある人ほど それをしっかり実践してしまうというような不毛な出来事が起きているというのも実際問題としてあります。
もちろん医療は必要なものです。 実際 風邪を引いたり怪我をしたら必要ですし有難いものであります。
ですから 私は否定するものではありませんが、過剰にそのようなことをインフォメーションする必要もないなと思っております。
エビデンスバカ という言葉があるように エビデンスばかりに執着するというのも 病を長引かせる原因の一つでもあります。
ともかく それが何であるにせよ、 痛みというものを 自分自身でよくよく観察するというところから始めると痛みに振り回されるということはなくなります。
痛みと自分を 別物として認識する。
この方の場合は「リウマチとは 私であり 私とは リウマチである」というような意識状態にありましたので。
その意識状態を解除すると この方のように 体の痛みがなくなったりね。
ですがまたしばらくすると ホメオスタシス が働いて 元の状態に戻そうとして痛みが出てくるというのを繰り返しつつ、意識状態を元の状態に戻していってくださいませ。
施術後 一緒に駅まで帰ったのですが 信号が点滅している時に私より俊敏に元気よく 横断歩道を走っているのは 印象的でした🏃♀️(笑)
また詳しくは 個人施術にて(^^)
しかし こんなことを公の場であっさり ペロッと言えるような時代になってくれたんですね〜
今の状況がある理由、今やるべき課題、今後について等色々と教えて頂きすっきりしました。そして、リウマチの痛みに対して、私自身が作り上げている、「幻」だった事が衝撃でした‼︎振り返ってみると、「リウマチなのに私はこんなに頑張っている」「リウマチの痛みに耐えてる私」のように思っていたな…と。そして、最後の浄化という事、きちんと受け止め、さよならしたいです👋
昨晩は、痛みで起きる事なく朝まで眠れましたし、仕事での移動では「私はリウマチではない」「この痛みは私のものではない」「どっかいけ〜‼︎」🚴♀️(汗)と唱えていました笑こんな軽快に自転車移動している自分の姿、どう見ても健康体ですよね笑今日は痛みは少なく、沢山歩けています🚶♀️これから電車移動です🚃✨
痛みと自分を切り離すワーク🦠とプロテクションをかけるワーク🫧を習慣にします💪
先生、ありがとうございました‼️
この方に限らずなのですが、慢性的な痛みを持っている人によくありがちな「意識の状態」についてさらっとお伝えしたいと思います。
「この痛みは自分であり自分とはこの痛みである」と痛みと自分を 同一視してしまっているという 状態です。
昨日は自分と痛みは別物であり それを切り離す というワーク内容をお伝えして、それを実際施術させてもらいました。 そしてそれが何も ヒーラーではなく 自分自身でできるワークであります。
権威から これは一生治らないんだよ 一生付き合っていくものなのだよと 繰り返し繰り返し言われることは、ある種の洗脳であり、性質が素直であればある人ほど それをしっかり実践してしまうというような不毛な出来事が起きているというのも実際問題としてあります。
もちろん医療は必要なものです。 実際 風邪を引いたり怪我をしたら必要ですし有難いものであります。
ですから 私は否定するものではありませんが、過剰にそのようなことをインフォメーションする必要もないなと思っております。
エビデンスバカ という言葉があるように エビデンスばかりに執着するというのも 病を長引かせる原因の一つでもあります。
ともかく それが何であるにせよ、 痛みというものを 自分自身でよくよく観察するというところから始めると痛みに振り回されるということはなくなります。
痛みと自分を 別物として認識する。
この方の場合は「リウマチとは 私であり 私とは リウマチである」というような意識状態にありましたので。
その意識状態を解除すると この方のように 体の痛みがなくなったりね。
ですがまたしばらくすると ホメオスタシス が働いて 元の状態に戻そうとして痛みが出てくるというのを繰り返しつつ、意識状態を元の状態に戻していってくださいませ。
施術後 一緒に駅まで帰ったのですが 信号が点滅している時に私より俊敏に元気よく 横断歩道を走っているのは 印象的でした🏃♀️(笑)
また詳しくは 個人施術にて(^^)
しかし こんなことを公の場であっさり ペロッと言えるような時代になってくれたんですね〜